〈帝国〉、マルチチュード

 いろんな書籍を購入しました。

 たとえば、大澤先生の「美はなぜ乱調にあるのか」あるいは、ホフスタッターの「ゲーデルエッシャー・バッハ」など。
 そして、ようやくネグリ、ハートの「〈帝国〉」「マルチチュード」を手にすることができました。

 いつ、通し読みできるか分からないけれど──
 見通しとして、「我々はxy平面に生きている(地図にプロットされる存在)というふうに擬制する。しかし、我々はグラフ理論的世界(地点Aから地点Bに移動する)にしか生きていない」という視点の転回が、ここにもあるように推測します。
 ネットワークということが、「明確な境界を持った均質な存在」ということのアンチテーゼとしてあることを示すものであるように、推測します。