2005年 7月 2日  〈親指シフトにシフト5〉

 さて、実際に親指シフトへの移行を試みてみると、これがなかなかに難しい。
 どこにどのキーがあるのかということは、割と早い段階で記憶できるのですが、それを思い出すのにかかる時間というのが、円滑な操作を行ううえで、支障になります。そして、ローマ字入力だと使わないキーを使うため、指の運びが大きく異なり思うようにキーが押せなかったりします。シフトも結構押し忘れたり押し間違えたりします。とくに半濁音が割り振られているキーが難しい(たとえば、シフトなし「ね」・左「ぺ」・右「む」のキーなど)。

 思ったように文字がうてず、もどかしい日々が続きました。
 脳梗塞などで、ある種の言語能力の障害をおったときってこんな感じなのではないかなと思いました。親指シフトのための練習は、だからリハビリみたいなもの。
 で、そのリハビリの結果、徐々に馴れてきました。当初1分あたり15文字しかうてなかったのが今、75文字くらいうてるようにまで。
 それでも、です。まだまだローマ字入力の水準にはほど遠い。
 そして、面白いことに、その影響はいろいろなところに出ています。
 例えば、ここ探訪記の更新が滞りがちなのも、その一つの顕われだと言えるでしょう。ローマ字入力では、たいした苦痛もなく文字が画面に浮かぶのに、親指シフトでは、1文字1文字を意識して打たざるを得ず、長文を書くのが知らず知らず、億劫になっているのです。
 また、文章の内容そのものにもだいぶ変調をきたしているように思います。流れが悪かったり、表現したいと思うのとはズレのあるものを書いてしまったり、あるいはどうしても表現できず、そのことについての記述をあきらめたり。
 思考というのは、運動から独立していないということなのだろうと想像します。 


 やはり、使い慣れるということが相当に大事なことです。一度慣れてしまったもののある情況では、そこで安定してしまい、それより合理的なものが別にあっても、そこにいたる道のりの遠ければ、なかなかに乗り移れないものだと思いました。
 それでも、ここまで来たら、突き抜けていくしかない。ローマ字入力を越える日は近い! ……かな?