「涼宮ハルヒ」

 最近谷川流さんの「涼宮ハルヒ」シリーズを読んでいます。
 ライトノベル研究のため、などと嘯きながら、手を出したのですが、うう、はまっていってます。
 東 浩紀さんは、『ゲーム的リアリズムの誕生』の脚注で、「涼宮ハルヒ朝比奈みくる長門有希の三人の配置は、萌えの配置としてとても効率的だ(p.41)」と述べています。傍若無人で美形で万能、ロリっとしていていたぶられ役、寡黙で神秘的でそして重要な局面で真実を告げるもの、という三つのキャラ造形です。
 あまりに見事すぎるその三人のキャラ造形に、
  涼宮ハルヒ = 惣流・アスカ・ラングレー
  朝比奈みくる = 碇シンジ
  長門有希 = 綾波レイ
エヴァンゲリオンとの対応を思いついたり、また
  涼宮ハルヒ = 榎木津礼二郎
  朝比奈みくる = 関口巽
  長門有希 = 中禅寺秋彦
などと京極堂シリーズとの対応を思いついたりします。思わず検索すると、案の定かなりの市民権を得ている意見のようで(特に長門有希 = 綾波レイ涼宮ハルヒ = 榎木津礼二郎)。
 読書中、長門有希のセリフのたびに、林原めぐみさんの声が聞こえてきたりします(これはむしろ「名探偵コナン」の灰原哀のイメージかも)。アニメ化された「涼宮ハルヒの憂鬱」は、別の声優さんが長門有希を担当していたようですが、そのアニメを見ていない身には、どうしたって林原めぐみさんの声が聞こえてしまうんです……とかって、実にどうでもいい話を生き生きと書いてしまっている自分の嵌りようが恐ろしい。
 コホン。ともあれ、いろいろ考えさせられる要素に充ち満ちており、ある程度整理がついたら、また何らかの形で文章にしたいと思います。