愛蘭土倫敦紀行 ダブリン・ロンドン4泊7日の旅(15)

ウエストミンスター寺院

 ウエストミンスター寺院の中へと入ります。おりしも土曜日の昼過ぎということもあるのか、行列ができている。クレジットでの支払いのほうが少し、行列が短く早く入れるようです。
 建物内部は撮影が禁じられています。音声ガイドは各国のものがあり、日本語の音声ガイドを借りて進みます。
 建物内部は荘厳で言葉を失います。床のあちこちには、埋葬されている偉人たちの名前が書かれていて、その上を歩いていいものか逡巡してしまいます。日付のかなり若いものもあり、今なおこの寺院が宗教的な活動性を持ち、日常の中にあることを知ります。
 聖人の像が建ち並び、中央左側にアイザック・ニュートンの像が大きく場所を取り、ある。この寺院においてかなり高い格を与えられている、との印象を抱きます。ニュートンマルコ・ポーロの二人の偉人伝は長く傍らにあり、自分にとってニュートンはきわめて重要な偉人でありました。その墓前にあるのだとの感慨は深いものがありました。
 奥の方へ進み、印象深かったのは、異母姉妹であるエリザベス一世とメアリー・テューダーの墓。生前二人を取り巻く政治的情勢のため緊張関係が続き、伴にいることの出来なかった二人が、死後、上下一体となって葬られています。眼前にその墓がある状況で、それを告げる音声ガイドの淡々とした語りに慄然としました。
 最奥部の聖母礼拝堂は、明りも十分に入り彩色も鮮やかです。荘厳さに華麗さが加わり、心が華やぎます。天井の組み方も独創的で神秘的。秘所に至ったとの感覚を覚えます。
 寺院から中庭に面した回廊にいでると芝生が明るい。建物の中と外との影と光、建物の無彩色と芝生の緑とのコントラストとが印象深い。
 心洗われて、心に刻まれる体験でした。

愛蘭土倫敦紀行 ダブリン・ロンドン4泊7日の旅(14)

ユニオンジャックが舞って

 この瞬間のこの構図が、この旅で一番感慨深かったように思います。
 ウエストミンスター宮殿を訪れたときでした。地下鉄のSt.James Park駅から出て、歩いて進み、ウエストミンスター寺院の前へと至ると、その背後にヴィクトリアタワーがそびえてあり、そして、その頂きにはユニオンジャックが舞っている。そういう情景でした。
 それはきわめて戯画的なものでした。ゲーム的である、というふうにも言えるかもしれません。ファンタジックでシンボリックなものである、という点においてそうでした。
 ヨーロッパの街にある塔、として描かれるであろう、範型的な塔であり、国威の発揚、として描かれるであろう、概念的な行為でした。戯画的でありながら、それでも圧倒的な力を持っていました。重厚な塔に舞う大きな旗に、超越的な意志がありありと感じられました。
 感じられる超越的な意志は、それが何らかの意志ではあるけれど、どういう意志かは分からないもののようでした。誰もの意志のようでいて、個々の誰の意志でもないようでした。集合的で匿名的な他者性を帯びていました。ユニオンジャックという、これ以上ない国体の表象が、そういう様相を帯びて、舞っているのでした。
 たとえば子供の頃、晴れた休日の青空を飛ぶヘリコプターからなされる広報に、私は、そうした集合的で匿名的な得体の知れぬ超越性を、感じていました。そうした体験のきわめて純化されたものが目の前にはありました。
 私の書いたものに「偽りの王」というのがあります。ある日、城壁の上に王が立っていて、王は民衆に石を投げつけられて殺されてしまう、という話です。集合的で匿名的な、それでいて圧倒的な力を持つ得体の知れぬものを描出しよう、という自分なりの試みでした。
 私がウエストミンスター寺院の前にあって、ヴィクトリアタワーを見て、感じていたものは、「偽りの王」の舞台が、現前しているのだということでした。
 私はまさにこの塔に立つ「偽りの王」の姿を見ていました。
 そして、この「得体の知れぬもの」はきわめて戯画的なのだけれど圧倒的に本物でした(本物であることと、戯画的であることは両立します。たとえば漫画SLAM DUNKは、木暮クンに対して現前している牧を「本物」として描きますが、それは確かに「本物」です)。
 自分がもし19世紀の日本人で、そのときに、ここを訪れていたら、ほとんど腰は砕け、膝は折れ、突っ伏していただろうと思います。大英帝国の威光の前に、何の技術も財力も文化もない祖国たるアジアの一小国の卑小さを痛感し、何の後ろ盾ももたぬ自分の寄る辺なさを覚えたろうと思います。激しい狂乱の中で、むせび泣いていたかもしれません。
 21世紀の自分は、それでも己を失うことなく、深い感銘を受けて道を進んだのでした。

愛蘭土倫敦紀行 ダブリン・ロンドン4泊7日の旅(13)

パディントン

 ダブリン空港から一時間弱の空の旅でイギリスのヒースロー空港へ。
 空港では案内のままに進むと外に出てしまいます。
 あれ? 入国審査は?
 アイルランドとイギリスの行き来は、国内の移動に準じているようです。外国という扱いをされていないようです。
 諸外国からの入国についての管理は、この二国で全然異なっているようですから、二国間の自由な行き来は何らかの形で利用されそうです。テロリストがイギリスで何かしようとするなら、まずアイルランドへ入国することを考えるだろう、と思いました。
 
 義兄に事前に教えてもらったように空港を進むと、駅に出ます。パディントンまでの直通電車です。一等車両に乗る必要はない、とのことなので、二等チケットを買い求めます。
 改札が見つからず戸惑います。戸惑って進むうちに目の前に線路が広がっていて、電車が目の前にやって来る。改札はないようです。
 車窓からの眺めは都会の郊外。ダブリンがどこでもダブリンらしさがあったのに、このあたりはこれぞロンドン、という特殊性のない、大阪の郊外でも東京での郊外でも変わらない、無機質な都会の郊外という印象です。
 車内で一度チケットのチェック。
 列車は速やかにパディントンに。ここでも改札が見つからず、戸惑いながら、構内を進みます。チケットのチェックは車内だけ、というのに非常に違和感を感じてしまいました。
 
 さて、着きましたのパディントン
 パディントン発4時50分。
 アガサクリスティの作品の名前として、中学生のころに耳にしていたこの駅を実際にこの足で踏みしめているわけです。感慨ひとしおです。この巨大ターミナル駅は、同一平面に何本ものラインが並んでいて構内は広く、かまぼこ二つを並べたようなアーチ型の天井は高く、圧倒されるかんじがします。
 アーチの骨組みはさび付いていて歴史を感じます。
 またこの駅で有名なものと言えば、「クマのパディントン」です。ペルーから密航してきたクマが、この駅でイギリス人家族に拾われ、駅の名前を取って「パディントン」と名付けられる、という始まり方をするシリーズものの絵本です。
 構内にクマのパディントンの像とキャラクタショップがあって、この日のために事前に絵本を読んでいた娘は、クマのパディントンを発見して喜びます。
 それと、構内で目立つのは回転寿司。広い構内の良い位置で回っています。娘が「お寿司食べる」といってききません。
 酢飯は家庭で作るとこんなかんじ、魚はネタによってはやや古いかなとかんじますが、許容範囲内です。値段はエスニックフードが割高になると考えるとこんなもの、というところ。私がロンドンで求めるものではありませんが、娘が喜ぶので仕方がありません。
 かみさんは寿司を食べにロンドンに来たんじゃない、と目をつり上げてしまいます。
 駅と直接つながっているホテルヒルトンに荷物を預け、地下鉄に乗り込みます。オイスターカードというICOCASUICAのようなICカードを購入し、使います。
 目指すはウエストミンスター寺院です。

愛蘭土倫敦紀行 ダブリン・ロンドン4泊7日の旅(12)

ダブリン まとめ

 ダブリン2泊3日はあっという間に終わってしまいました。穏やかな陽光の中の、静かな家。という姉の家の印象が強く残っています。姉家族のダブリン生活に触れ得たのが非常に良かったと思います。
 駆け足で巡った街並みにも歴史があり、日本の各地にある「小京都」にもなぞらえられるような雰囲気のよさ、鄙びたかんじがありました。
 すこし郊外に出ると牧草地が広がり、羊や馬、牛の姿が見られる、というのも普段体験をしない世界であり良かったと思いました。
 
 さて、休む間なく、姉家族に別れを告げて、ロンドンへと向かいます。

愛蘭土倫敦紀行 ダブリン・ロンドン4泊7日の旅(11)

ダブリン市街/お土産

 バスを降りたところ、つまりバスの旅の出発点であるGPO前は、ダブリン市の中心でした。オコンネル・ストリートに面し、デパートが並び、近くを路面電車が行き交います。
 この通りでは、天を突き刺すような、針型の巨大なモニュメントが異彩を放っています。光のモニュメントと呼ばれています。二十一世紀を迎える記念として計画されたにもかかわらず、完成したのが2003年、ということだそうです。
 あまり高い建物のないダブリンの街に、百二十メートルある、このモニュメントはそびえ立っておりました。
 GPOの向かいのキャロルという名のお土産屋さんが品揃え豊富で、お土産を買い求めやすい。キャロルはダブリン市内のあちこちに店を構えているそうです。
 姉の家にあった食器が気に入った、というかみさんが、義兄の協力を得て、デパートに乗り込み、その食器を求めるということがありました。土産コーナーでなく、デパートの食器コーナーの何気ない一角にありました。萩焼を学んだ陶芸家の作品とのことで、素地の味わいを生かすシンプルな作品です。日本に帰って使ってみると、特に小皿がよく、この旅一番の実用的な土産となりました。

愛蘭土倫敦紀行 ダブリン・ロンドン4泊7日の旅(10)

ギネスの谷

 風雨の山道をバスは進みます。霧が立ちこめ、眼下に谷底が覗かれる、秘境と言うべきところで、バスが停まります。
 眼下の谷はギネスバレーといい、アメリカのテレビドラマである「ヴァイキング」の撮影が行われた場所なのだということ。谷底には湖があり、遺跡めいた建物がある。撮影用のものなのでしょう。
 雨に濡れながら写真をとります。壁のような斜面に茂みが生え、放牧されている羊が草をはんでいる。環境の過酷さと羊どもの穏やかなかんじとが、なんとも言えぬ落差があって、おかしく思われます。
 バスは山道を進みます。運転手兼ガイドのおっちゃんは延々しゃべり続けます。ここで各国の歌をうたいましょう、となって、「では次、日本」と言われたときに、なんとか歌おうとするかみさんと、押し黙ってしまう私とに若干の気まずいわだかまりが生じてしまった、ということも書かないでよいことかもしれません。
 ダブリン市街に戻ってくる頃に、おっちゃんは本日のまとめをはじめます。「今日巡った、聖書の写本で名高いのは、どこ?」「グレンダロッホとはどういう意味でしたか?」などと延々の質問責めです。
 市街に入るときに若干道が混み、GPO(郵便局)の前に戻ってきたときは、18時を回っていました。こうしてバスの旅を終えたのでした。
 こうしたバスでないと、なかなか行くことの出来ない場所をめぐる、アイルランド鄙びたかんじをよく伝える、コストパフォーマンスのよいツアーでした。まあ、このツアーの醍醐味はガイドのおっちゃんのおしゃべりであり、それなりの聞き取り能力がないと楽しめないかもしれません。

愛蘭土倫敦紀行 ダブリン・ロンドン4泊7日の旅(9)

グレンダロッホ

 だいぶダブリンから離れて、牧草地が広がるようになっている。羊や馬、牛が、飼われている。そうしたバスの車窓から見える風景が面白い。やがて山あいの、建物もまばらなところに至ります。グレンダロッホ、運転手さんによると二つの湖の谷という意味だそうです、に至ります。
 灰色の空の下、石造りの教会群は、廃墟というものの魅力を十分に持っています。こっちを歩いていくと10分位で湖にでて、こっちに行くと……16時集合ね。と運転手さんが説明します。
 しかし。そのとき雨が襲ったのでした。誰も散策しようとしません。誰もがバスに戻ります。グレンダロッホの旅はここであっけなく終わってしまったのでした。
 途中にトイレ休憩のためたちよった駐車場で、娘のために買ったアイスクリームを私がひとなめしたら、コーンが根元のところで折れて、アイスクリームが落ちてしまい、娘をひどく落胆させ、一ヶ月になろうとする今にいたるまで非難されていることは、書かなくてもよいことかもしれません。
 雨に打たれたもののグレンダロッホは、溢れる緑と、その中に埋もれていく石積の建物のコントラストが美しく、簡素な建物のありようには、わびやさびとも相通じるものを覚え、キリスト教文化がようやくに及んだかんじがあり、ヨーロッパ世界の西の果ての地、との印象を抱くにたりました。しみじみとした、よさがありました。